改訂新版 世界大百科事典 「藤原魚名」の意味・わかりやすい解説
藤原魚名 (ふじわらのうおな)
生没年:721-783(養老5-延暦2)
奈良時代末の官人。藤原房前(ふささき)の子。748年(天平20)従五位下侍従となり,翌年八幡神の入京に際しては迎神使となった。以後備中,上総などの国守を経て766年(天平神護2)従三位,768年(神護景雲2)には参議となる。ついで光仁朝には藤原氏の式家が隆盛を誇るなかで,北家の出ではあるが天皇の信任を得た。すなわち正三位大納言,中務卿を経て777年(宝亀8)には従二位近衛大将,79年には内大臣となり,781年(天応1)桓武天皇即位後には左大臣兼大宰帥となった。しかし翌年皇位継承をめぐる氷上川継(ひかみのかわつぐ)の事件がおこったのち左大臣を免ぜられ,大宰府に下ることとなったが,途中摂津で病気となり,同地での療養を許されたが治癒せず,翌783年京にもどることが許されてまもなく没した。この事件の真相は不詳であるが,その死に際しては本官に復され,配流に関する官符はことごとく焼却が命じられた。無実の陰謀事件であったのかもしれない。
執筆者:佐藤 宗諄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報