新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「安部井磐根」の解説 安部井 磐根アベイ イワネ 肩書衆院副議長 生年月日天保3年3月17日(1832年) 出生地陸奥国安達郡二本松(福島県) 経歴奥州二本松藩士。慶応4年からの戊辰戦争で二本松藩も奥羽越列藩同盟に加わったが、中央政府軍につくことを主張して仙台に追われた。明治元年7月二本松城落城とともに、藩主丹羽氏の旧領回復に奔走、その功で町奉行となり、2年参事。5年官を退き、10年福島県議、次いで議長、11年安達郡長となったが、県令三島通庸の施政に反対、15年辞任。23年第1回衆院選以来3回当選、大成会、大日本協会、改進党などに所属。26年第2次伊藤内閣の衆院副議長となった。 没年月日大正5年11月19日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「安部井磐根」の解説 安部井磐根 没年:大正5.11.9(1916) 生年:天保3.3.17(1832.4.17) 明治期の政治家。父は二本松藩(福島県)勘定奉行安部井又之丞。父と共に江戸藩邸に移り奏者番を務める。そのころ,本居宣長の学問に傾倒した。戊辰戦争(1868~69)に際して帰順工作に努めたがならず,藩とともに新政府に抗し朝敵となった。維新後,藩の旧領回復に奔走し声望をあげる。若松県(福島県)監査,福島県会議長などを務めたが県令三島通庸を嫌忌し辞職した。第1回衆院議員選挙(1890)に当選し,吏党大成会の領袖となった。初期議会では神鞭知常らと大日本協会を組織し,現行条約励行論,内地非雑居論を主張,対外硬派の中心として政府を攻撃した。明治35(1902)年引退して二本松に帰る。<参考文献>佐倉孫三『安部井翁小伝』 (長井純市) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安部井磐根」の解説 安部井磐根 あべい-いわね 1832-1916 幕末-明治時代の武士,政治家。天保(てんぽう)3年3月17日生まれ。陸奥(むつ)二本松藩(福島県)藩士。戊辰(ぼしん)戦争で敗れた藩の旧領回復に奔走。のち若松県参事,福島県会議員,同議長をへて,明治23年衆議院議員(当選4回)。大成会などに属し,26年副議長となった。大正5年11月19日死去。85歳。名は良成。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by