宋素卿
そうそけい
(?―1525)
戦国時代の遣明(けんみん)船の使者。明の人で本名朱縞。浙江(せっこう)省寧波(ニンポー)の朱漆匠の子。父が日本商人に債務を負ったため、質となって1496年(明応5)に日本に連れてこられた。のち細川政元(まさもと)に認められ、1509年(永正6)には細川氏が独自に出した遣明船の綱司に抜擢(ばってき)された。ついで23年(大永3)派遣の細川船で正使鸞岡瑞佐(らんこうずいさ)を補佐して入明した。この船は細川氏が大内船三隻に対抗して送ったもので、宋素卿は明の官吏に賄賂(わいろ)を贈り、優位にたとうとした。このため大内方と武力衝突し、寧波の乱を引き起こした。乱の責任を問われて捕らえられ、浙江按察司(あんさつし)の獄中で死去した。
[池上裕子]
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宋素卿
そうそけい
Song Su-qing
[生]? 浙江,ぎん県
[没]嘉靖4(1525)
中国の人。室町時代,勘合貿易の日本側使者。本名は朱縞。若いときから日本商人と貿易し,日本に亡命して宋素卿を名のった。一度足利義澄の使者として渡明し,次いで細川高国の使者としてニンポー (寧波) におもむいたが,このとき先着していた大内義興の使者宗設をだしぬいて優先の利を得たために宗設との間に争いが起り,宗設は腹いせに沿海を荒した。素卿は捕われて獄死し,明は一時対日貿易を停止した。 (→寧波の乱 )
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宋素卿 そう-そけい
?-1525 明(みん)(中国)の貿易家。
明応5年(1496)日本人商人湯四五郎につれてこられる。大永(たいえい)3年(1523)細川高国の遣明船の副使として渡航。寧波(ニンボー)市舶司(しはくし)に賄賂(わいろ)をおくり,先着の大内船(正使は謙道宗設)を出しぬいたため両者が衝突,寧波の乱をおこす。乱後捕らえられ,嘉靖(かせい)4年4月14日浙江省で獄死した。浙江省出身。本名は朱縞(しゅ-こう)。
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世界大百科事典(旧版)内の宋素卿の言及
【寧波の乱】より
…大内氏は豊前池永で遣明船3隻を艤装し,正徳勘合1,2,3号を与え,宗設謙道と月渚永乗とを正・副使とし,彼らの船は23年の4月に寧波に到着した。一方,細川氏は幕府に強請して,すでに無効になっていた弘治勘合を入手し,鸞岡瑞佐を正使とし,明人宋素卿をこれに付け,南海路をとって入明させた。細川船は大内船よりも数日おくれて寧波に着いたが,素卿の暗躍により,規定に反して大内船よりもさきに貨物を陸揚げさせて東庫における点検をすませ,そのうえ嘉賓館における席次も鸞岡を宗設の上位におかせることにしてしまった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」