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市舶司 しはくしShi-bo-si; Shih-po-ssǔ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

市舶司
しはくし
Shi-bo-si; Shih-po-ssǔ

中国,海上貿易関係の事務を司る官庁。唐の開元年間 (713~741) に初めて広州に設置され,宋,元,明に存続し,清の海関に引継がれた。宋代は海外貿易からの税収入や一部輸入品の国家専売の利益を重視したのでこの制度も整備され,広州,泉州,明州などに市舶司をおき,取扱う相手国も定まってきた。

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百科事典マイペディアの解説

市舶司【しはくし】

中国,唐〜明代に海上貿易を担当した役所。唐の714年以後市舶使(または押蕃舶使)の官職名がみえ,広州に置かれた。宋代には整備されて市舶司(長官は市舶使,1080年からは提挙市舶)と呼ばれ,広州,泉州明州温州杭州などに置かれ,貨物の検査や関税の徴収,外国商人の保護監督などに当たった。
→関連項目蒲寿庚

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世界大百科事典 第2版の解説

しはくし【市舶司 shì bó sī】

中国の海港に置かれた貿易管理機関。唐代半ばから中国の海上発展がおこり,社会の商業化がさかんになって登場,宋・元に制度が整って財政上も重視された。明の永楽帝のとき,鄭和(ていわ)の遠征で頂点に達した海上発展は,同帝が海禁(鎖国)に転じて挫折,市舶司は明末まであったが機能は縮小した。創建は唐の714年(開元2)広州に置かれ,アラブ人の活動,居住でにぎわった。宋代には中国の造船・航海術が一新され,広州,泉州(以上南海貿易),明州(めいしゆう)(寧波(ニンポー)),杭州,秀州(以上南海および日本,高麗(こうらい)貿易),密州(高麗貿易)などに市舶港が開かれた

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

市舶司
しはくし

中国で海上貿易をつかさどった官庁。その長官を市舶使といい、宋(そう)から明(みん)初まで置かれた。市舶使は唐代の714年に置かれ、押蕃舶使(おうばんはくし)あるいは監舶使と称され、おおむね宦官(かんがん)が任命された。宋代の971年に市舶司を広州に置き、その後、杭州(こうしゅう)(浙江(せっこう)省杭州市)や、日本・高麗(こうらい)への港である明州(浙江省寧波(ニンポー)市)にも置いて知州に兼任させた。元豊(1078~85)の官制改革で提挙市舶司または提挙市舶といわれ、路の財務長官の転運使や副使などに兼ねさせ、ついで泉州(福建省泉州市)にも置いた。北宋末には新法党のときに専官を置き、旧法党のとき旧に復して兼官により運営された。南宋にかけては、出張所の市舶務を置いたこともあった。宋代には西方との陸路貿易が衰え、南海貿易が大いに発展したので国家財政上しだいに重要となり、南宋には広州、泉州2州で200万緡(びん)にも達したほどであった。また国家的税制の色彩も強まり、香薬、珠玉、象牙(ぞうげ)、犀角(さいかく)などは専売とし、その他のものの多くは商人の販売を制限した。中国からは絹、陶磁器などのほか、禁ぜられた銅銭の流出が多く、国内に不足したほどであった。このような関係で、アラブ商人のほか中国の大船や商人も南海に行き、日本にも渡来するようになった。
 市舶司の職務は、関税を徴収し、本銭をもって専売品その他を買い上げ、中央への輸送、販売にあたり、中国船に許可証を支給し、帰国の期間を定め、不正を防ぐなどがおもであった。そのため長官の権限は強く、利益も多く、南宋末の泉州市舶の蒲寿庚(ほじゅこう)が海軍を率いて活躍したのは有名である。[青山定雄]
『桑原隲蔵著『宋代の提挙市舶西域人蒲寿庚の事蹟』(1923・東亜攻究会) ▽藤田豊八著『東西交渉史の研究 南海篇』(1932・岡書院)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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