日本歴史地名大系 「宍咋庄」の解説
宍咋庄
ししくいのしよう
宍喰町域一帯に比定される京都長講堂領庄園。領家は紀伊高野山
仁治二年(一二四一)頃に「地頭堺相論」など在地の支配をめぐって高野山は地頭と対立があったようであり(嘉元三年八月日金剛峯寺御影堂奉納文書新定目録下)、宝治元年(一二四七)地頭の光綱が高野山が実施する大検注に従わず、また「山海雑物椙小榑」などを運上するのみで、これらを年貢と号して田代の別当年貢を納めないとして訴えている(前掲宝治元年高野山住僧解状)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報