宍戸璣(読み)シシド タマキ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「宍戸璣」の解説

宍戸 璣
シシド タマキ


肩書
貴院議員

生年月日
文政12年3月15日(1829年)

出生地
長門国萩松本村(山口県)

経歴
長州藩士安田直温の三男吉田松陰に師事し、尊王攘夷志士として活躍した。功績が認められ、慶応元年家老宍戸備前の養子となる。明治2年山口藩権大参事、5年教部大輔兼文部大輔を務め、ついで10年に元老院議官就任、12年には特命全権公使として清国に駐在する。のち、20年に子爵を授けられ、23年から30年まで貴院に在任した。

没年月日
明治34年10月1日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宍戸璣」の解説

宍戸璣 ししど-たまき

1829-1901 幕末-明治時代の武士,政治家。
文政12年3月15日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。山県太華(やまがた-たいか)の養子となり,安積艮斎(あさか-ごんさい)にまなぶ。第2次幕長戦争では,宍戸備後助と名をかえ幕府の問罪使に応対。維新後,山口藩権大参事,司法大輔(たいふ),元老院議官などを歴任貴族院議員。子爵。明治34年10月1日死去。73歳。本姓は安田。名は敬宇。字(あざな)は世衡。通称はほかに辰之助,半蔵。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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