日本歴史地名大系 「宗昌寺」の解説 宗昌寺そうしようじ 愛媛県:北条市八反地村宗昌寺[現在地名]北条市八反地 宮ノ窪国津比古命(くにつひこのみこと)神社の南の宮(みや)ノ窪(くぼ)にあり、集福山と号し、黄檗宗。本尊文殊菩薩。創建当初は臨済宗という。由緒によれば元弘元年(一三三一)正岡氏の祖信濃守河野経孝の夫人宗昌禅尼が難波の大通(なんばのだいつう)寺の開山大暁峰翁祖一の弟子大虫宗岑を開山として創建。大虫は奇行で知られ、入門希望者を棒で三〇回叩くなどのことがあり、学風継承者は最明(さいみよう)寺開山の月庵のみであったという。 宗昌寺しゆうしようじ 愛媛県:北宇和郡吉田町鶴間浦宗昌寺[現在地名]吉田町鶴間東に犬尾城(いぬびじよう)山を望み、眼下に鶴間(つるま)港を見下ろす山腹にあり、蜜柑畑に囲まれている。補陀山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は釈迦如来。寺名の初見は慶長―元和年間(一五九六―一六二四)の宇和島十万石領寺法之覚であるが、創建は明らかでない。延宝九年(一六八一)の「吉田古記」によると破損著しかった同寺を再興したのは大円普覚で、寺記によるとこの年代は寛文一一年(一六七一)である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報