宗福院(読み)そうふくいん

日本歴史地名大系 「宗福院」の解説

宗福院
そうふくいん

[現在地名]山形市鉄砲町一丁目

江戸時代城下町であった鉄砲てつぽう町の西部にある。六椹山と号し、天台宗。本尊聖観音と得大・勢至の両菩薩。六椹むつくぬぎ観音として知られ、境内には樹齢三〇〇年の高野槙が茂る。最上三十三観音第八番札所、山形三十三所観音第一番札所として参詣者が絶えない。和銅元年(七〇八)行基が当地方へ行脚した折に、郷民の願いにより国土安穏・悪病退散・万民和楽を念じ、一刀三礼の法をもって木造の観音菩薩勢至菩薩を刻し、これを安置して開創したと伝える。また当地は慈覚大師円仁が中興した霊場の一つとされる。貞観二年(八六〇)円仁巡錫の折に当地を訪れ、観音堂の六隅に塚を築いて六本の椹を植え、二世安楽を祈願して一堂六岳を七高山如法寺宗福院と号したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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