粘土を雌型の原型に押しあててうつしとり,乾燥させて窯で焼いた浮彫状の仏像。中国では周代に塼が建築に用いられ,漢代には特に発達した。塼の表面に仏像をあらわした塼仏の遺品は北魏からみられ,斉,周(北周),隋,唐の遺品は多い。製作年代の明らかなものに東魏の興和5年(543)銘観音塼仏,唐の貞観元年(627)銘三尊仏塼仏などがある。日本には7世紀後半ごろに伝わり,660年代前半創建の奈良県川原寺の裏山遺跡から,塑像断片などとともに1辺約20cmの方形三尊仏塼仏を中心とする大量の塼仏が出土している。ほかに橘寺,紀寺,山田寺,夏見廃寺,壺坂寺など,おもに7世紀後半から8世紀初めころ創建の諸寺院跡から出土し,このころ盛んに造られたことがわかる。奈良時代の遺品は少なく,平安時代以後のものはほとんどない。7世紀後半の塼仏の作風には,同時期の木彫像や金銅仏にくらべて初唐様式のいち早い影響が顕著である。このころ流行した押出仏と同様に一つの型から複数の作品を製作することが可能なため,原型の将来によってすみやかに大陸の新様式が日本にもたらされたのであろう。三重県愛宕山古墳出土の奈良時代製作の吉祥天塼仏は,唐招提寺吉祥天押出仏と同形で,両者の密接な関係がうかがえる。塼仏の形状には方形と火頭形のものがあり,独尊像,三尊像,四仏連座像などがあらわされる。単独に安置して礼拝されたり,また出土状況から寺院の壁面をうめるように取り付けて堂内の荘厳(しようごん)に用いられたことが推定される。
執筆者:副島 弘道
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…特殊な塼として水波文塼とよばれる緑釉をかけた塼が,奈良県川原寺,東大寺,平城京などで発見されている。これは蓮池の波をかたどったものらしく,画像塼の一種ともいうべき仏像を型押しした塼仏,あるいは天人や鳳凰文様を型押しした文様塼などとともに,仏殿内の荘厳に用いられたのであろう。煉瓦【町田 章】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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