日本歴史地名大系 「定林寺」の解説
定林寺
じようりんじ
定林寺
じようりんじ
熊耳山と号し、臨済宗国泰寺派。本尊は釈迦如来。貞享二年寺社由緒書上によれば、熊来将監の位牌所(氏寺)として嘉暦元年(一三二六)開創という。開山は京都東福寺前住の月浦宗暹。定林寺世代過去帳によれば、開基の熊来左近将監は法名定林寺殿真源祐公大居士、貞和元年(一三四五)没。
熊来氏は熊来庄の地頭であったが、南北朝末期頃には一時退転しており、その後享禄二年(一五二九)五月に同庄の代官請負が知られるが、戦国後期に至り庄内の中心部は守護畠山一族の所領となっている(明徳記・実隆公記紙背文書・諸橋文書)。したがって当寺もこの頃には畠山氏およびその重臣層とかかわりの深い寺院となっており、庄内の熊来郷内に寺領をもち、能登における臨済宗東福寺栗棘庵派の拠点となっていた。
定林寺
じようりんじ
定林寺
じようりんじ
定林寺
じようりんじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報