宝城院(読み)ほうじよういん

日本歴史地名大系 「宝城院」の解説

宝城院
ほうじよういん

[現在地名]高野町高野山

正智しようち院北東の高台にあり、本尊大日如来。準別格本山。「諸院家析負輯」によれば、忍信成仏房(貞永元年八〇歳で没)開基とし、後白河院の御幸の時、勅して六坊を建立したうちの一坊に始まる。「続風土記」は、後白河院の御幸は嘉応元年(一一六九)で、当時忍信は二〇歳ほどだから、おそらくは後鳥羽上皇の南接する弥勒みろく院への御幸を誤ったのであろうとする。初め成仏じようぶつ院と号したが、寛永九年(一六三二)宝城院と改めた。寺伝は琳賢を開基とするが、前掲析負輯所収の当院過去帳には「自成仏房大徳(琳賢)先開此地結一草堂擬修念之処乎」と考証する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報