日本歴史地名大系 「宮ヶ谷村」の解説 宮ヶ谷村みやがやむら 神奈川県:横浜市港南区宮ヶ谷村[現在地名]港南区日野(ひの)町・港南台(こうなんだい)一―九丁目東は峯(みね)村(現磯子区)、西は金井(かない)村、南は鎌倉郡中野(なかの)・鍛冶(かじ)ヶ谷(や)(現戸塚区)の二村、北は宮下(みやした)村・吉原(よしわら)村の二村の飛地。村内南の大久保(おおくぼ)谷から湧出の清水と榎戸(えのきど)から出る清水が西に流れ、下馬橋(げばばし)で合流して金井村に出る。大岡(おおか)川支流の日野川の源流。鎌倉道は上野村から宮下村に通ずる。小田原衆所領役帳には「日野」とあり、「風土記稿」は日野郷の分村経緯を記す(→宮下村)。正保国絵図には日野宮ヶ谷村と記す。近世は寛文二年(一六六二)から九年までの久世(のち下総関宿藩)領を除き幕府直轄領。 宮ヶ谷村みやがたにむら 富山県:婦負郡婦中町宮ヶ谷村[現在地名]婦中町宮ヶ谷長沢(ながさわ)村から山一つ越えた裏山にあたる丘陵地で、射水(いみず)郡小杉新(こすぎしん)町(現小杉町)へ流れる下条(げじよう)川上流左岸に位置し、北は射水郡、南は高塚(たかつか)村。村名の由来は水神の宮(諏訪社)に基づく(婦負郡志)。正保郷帳では高一九石余、田方九反余・畑方三反余。享保六年(一七二一)の高二九石余(「村付高改帳」島倉家文書)。寛政二年(一七九〇)の古高二九石余・定免四ツ八歩、新田高一七石余・平均免一ツ二歩七厘余、小物成は山役九〇匁三分七厘(高物成品々手鏡)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by