日本歴史地名大系 「港南区」の解説 港南区こうなんく 神奈川県:横浜市港南区面積:一九・八七平方キロ横浜市の南部に位置し、東は磯子(いそご)区、北は南区、西から南は戸塚(とつか)区に接する。区域のほぼ中央を南北に分水嶺が走り、その東は旧武蔵国久良岐(くらき)郡で、南方の円海(えんかい)山(一五三・三メートル)に源を発する笹下(ささげ)川・日野(ひの)川がこの地域の東西を北流、上大岡西(かみおおおかにし)二丁目で合流して大岡(おおか)川となり、南区に入る。分水嶺の西は旧相模国鎌倉郡で、柏尾(かしお)川上流(馬洗川)が鉤形に南から西に流れる。これらの川が多摩丘陵の延長である標高六〇―九〇メートルの台地を浸食し、その流域と谷戸に田畑が開かれ、集落が集まる。〔原始・古代〕区北部の台地では有華寺台(うけじだい)遺跡で縄文中期の住居跡が発掘され、おばこ台(だい)遺跡では中期・後期の土器・石器を出土している。また区南部の港南台地一帯では多くの遺跡が発掘されたが、榎戸(えのきど)第一遺跡では丘陵上に縄文中期後半の中央に広場をもつ馬蹄形集落が発見された。ほか弥生後期の出土品もある。「和名抄」武蔵国久良(くらき)郡の郷名は郡家(ぐんけ)・大井(おおい)・良(よしはし)の各郷が比定される。相模国鎌倉郡の地域については尺度(さかと)郷に比定とする説もある。〔中世〕鎌倉東慶(とうけい)寺領が野場(のば)(野庭)にあり(天文一八年「石巻家貞掟書」県史三)、また小田原衆所領役帳にも同寺所領として「野葉」が出るほか、北条早雲の三男で氏綱の弟とされる幻庵の所領日野、萩野所領の大賀(おおが)郷、宅間殿所領の永谷(ながや)などがみえる。なお同帳によれば、間宮豊前守は久良岐郡杉田(すぎた)(現磯子区)を領しているが、杉田は現笹下地域を含んでおり、この地域に間宮氏によって笹下城が築かれたと伝えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「港南区」の意味・わかりやすい解説 港南〔区〕こうなん 神奈川県東部,横浜市南部の丘陵地にある区。 1969年南区から分離して区制。大岡川流域には輸出用の絹スカーフの捺染業が発達している。北東部の丘陵地は宅地化が著しく,上大岡の京浜急行電鉄,市営地下鉄の駅周辺には,急速に市街地が形成された。南部の丘陵地でも根岸線の開通により,港南台など大規模な住宅団地が相次いで造成された。北東端に市営上大岡霊園がある。横浜横須賀道路の日野,港南台インターチェンジがある。面積 19.90km2。人口 21万5248(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by