日本歴史地名大系 「宮久新田」の解説 宮久新田みやひさしんでん 新潟県:北蒲原郡黒川村宮久新田[現在地名]黒川村宮久胎内(たいない)川支流鹿(か)ノ俣(また)川の段丘上にあり、北西は熱田坂(あつたざか)村、西は坂井(さかい)村に接する。元文二年(一七三七)柏崎の宮川四郎兵衛と早道場(はやみちば)町(現新発田市)の相馬久左衛門が熱田坂村地内の禅師野原(ぜんじのはら)六八町余を開発。延享二年(一七四五)検地を受け田高二六三石五斗余・反別二五町七畝余、畑高九四石四斗余・反別四三町八反九畝余、屋敷三町五反余の村が成立(天保九年「村明細帳」宮久区有文書)。村名は両人の名を一字ずつ取って付けられた(「宮川家譜」宮川正氏蔵)。近世を通じ幕府領。用水は鹿ノ俣川上流猿(さる)ヶ城(じよう)で取水し、左岸山沿いを掘切り約三千三三四間の水路を引いた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by