20世紀日本人名事典 「宮城タマヨ」の解説
宮城 タマヨ
ミヤギ タマヨ
大正・昭和期の政治家,社会教育家 参院議員(緑風会)。
- 生年
- 明治25(1892)年2月1日
- 没年
- 昭和35(1960)年11月19日
- 出生地
- 山口県山口市
- 旧姓(旧名)
- 植田 タマヨ
- 学歴〔年〕
- 奈良女高師博物家事部〔大正3年〕卒
- 経歴
- 大正9〜12年大原社会問題研究所で社会事業、児童保護問題などを研究。少年法制定に伴い12〜13年文部、司法両省からアメリカに派遣され少年保護、社会教育などを研究。帰国後、東京少年審判所で日本初の婦人保護司となった。15年退職し、大審院検事で少年保護制度確立に尽くした宮城長五郎(後法相)と結婚、17年死別。戦後22年の参院選全国区に当選、緑風会に所属。2期12年務め、婦人青少年問題の対策に努力、31年の売春防止法成立に有力な推進者となった。27年の破壊活動防止法案審議では「扇動条項」の削除を主張した。32年訪英し、ウエストミンスター寺院のチャイム・ベルに示唆を得て全国64カ所の少年院と婦人補導所に「母の鐘」を寄贈することを決意、34年私財を投じて完遂した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報