メキシコの画家。リベラ、シケイロス、オロスコとともにメキシコ画壇を形成した。貧しいインディオの子としてオアハカ州に生まれる。少年時代はメキシコ市に出て市場の果物売りで生活していたが、サン・カルロス美術学校に入学、絵画を学ぶ。しかし、学校の傾向に飽き足らず1年で退学し、独学で絵画を続けた。さいわいなことに、22歳の若さで国立人類博物館民俗局長となり、インディオである彼は祖先の古代メキシコ文化やインディオ芸術に接して親しみ、一方でフランスのエコール・ド・パリの影響も受けた。そのため、彼の画風は他の3人と異なり、抽象的であり、壁画派でなくタブロー派である。また、インディオの呪術(じゅじゅつ)的心情に根を下ろしたカオス的幻想と叙情をもち、4人の巨匠のうちもっともメキシコ的画家といえよう。しかし、シケイロスをはじめとするメキシコ画壇は、メキシコ革命、民衆のための壁画運動に燃え、きわめて政治的であったので、彼は反革命、非愛国者のそしりを受けた。そこで彼は1926年ニューヨークで個展を開いて高い評価を受けると、祖国を離れパリに本拠を置いて制作を続け、ヨーロッパ諸国に多くの愛好者をもった。晩年はメキシコに戻っている。代表作には『テウタンテペックの女性』『月に手をのべる女』『インディオ讃歌(さんか)』『寝室のビーナス』『歌う人』などがある。
[深作光貞]
メキシコの画家。オアハカ生れ。伯母の店で昼間働き,サン・カルロスの美術学校で夜学ぶという生活を送る。1921年より考古学博物館民族学部門に就職し,古代メキシコへの目を開かれた。壁画を手がけているが,同世代の壁画運動の画家たちとは離れて,社会主義的主題になじめず私的な主題を描きつづけた。祖先の血が流れているようなその独特な色彩感覚と柔らかな形態処理,画面の肌合いは,若い画家にも強い影響を与えている。
執筆者:加藤 薫
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