宮川保(読み)みやがわほ

日本歴史地名大系 「宮川保」の解説

宮川保
みやがわほ

京都祇園社(感神院)の神供料所で宮川を遺称地として一帯に比定される。一二世紀末から一三世紀初頭に同社長日用途料所で四ヵ保の一、守富もりとみ保が三つに分割されて成立。宮河とも記した。「社家条々記録」によれば守富保が分割されたのは保司良円のときで、良円の次子良尊に譲られた当保(得田二〇町、役田二〇町)は一〇―一二月の各月下旬「都合三十ヶ日、新米二十五石七斗七升」のほか「閏月下旬六ケ日、新米五石一斗五升四合」の神供料米を納め、また御供塔料ほか恒例・臨時の社役も繁多であった。弘安年中(一二七八―八八)と推定される七月四日付の成宣奉書(山部神社文書)によれば市子いちこ本庄殿原とのばら用水に関する相論で、「葛巻・法勝寺・宮河以下六番入方衆」が違乱を起こし、悪行狼藉に及んでいる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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