改訂新版 世界大百科事典 「宮部長煕」の意味・わかりやすい解説 宮部長煕 (みやべながひろ)生没年:?-1634(寛永11) 安土桃山時代の武将。継潤の子。豊臣秀吉に仕え,1586年(天正14)従五位下兵部少輔,豊臣の姓を与えられる。92年(文禄1)文禄の役に従軍し朝鮮へ渡海。96年(慶長1)因幡,伯耆,但馬二方郡,鳥取城13万石余を相続する。1600年関ヶ原の戦では徳川家康の上杉征伐に従軍したが,のち西軍となり伏見城,大津城攻めに参加。戦後所領を没収され,南部利直のもとで蟄居(ちつきよ)。剃髪して長令と称し,盛岡で死んだ。執筆者:細溝 典彦 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮部長煕」の解説 宮部長煕 みやべ-ながひろ 1581-1635* 織豊時代の武将。天正(てんしょう)9年生まれ。宮部継潤(けいじゅん)の子。因幡(いなば)鳥取城主。関ケ原の戦いで東軍に属したが,西軍に転じ大津城攻めにくわわった。敗戦で所領は没収,南部利直にあずけられ,寛永11年11月18日盛岡で死去。54歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by