富山売薬商人(読み)とやまばいやくしょうにん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「富山売薬商人」の意味・わかりやすい解説

富山売薬商人
とやまばいやくしょうにん

江戸時代,諸国を回った富山藩の薬行商人古代から越中国の産薬は知られていたが,2代藩主前田正甫の頃から有名となり全国的に広まった。売薬原料は領内産の草根などで,一部は大坂から仕入れ,家内手工業として生産された。行商の方法はいわゆる配置売薬で,得意先に一定量の薬を預けておき,次の行商の際,消費された薬の代金を回収した。売薬商人は文久年間 (1861~64) には 2200人に上り,年間の売上高は 200万両にも達したといわれる。彼らは 21組の仲間組を結成し全国の行商圏も決められていた。富山藩はこれら行商人に統制と保護を加えた。明治にいたり株式会社組織となり,昭和まで続いたが,次第に衰微している。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「富山売薬商人」の解説

富山売薬商人
とやまばいやくしょうにん

定置販売方式によって全国の家庭をめぐる,越中国富山を中心にした薬の行商人。富山売薬商人の他国行商は,元禄頃に始まり現代まで続いている。江戸時代は富山藩の統制・保護下にあり,明和頃には株仲間を結成していた。1853年(嘉永6)の売薬商人は2258人で,得意先別に21組にわかれていた。顧客ごとに口座を記した懸場帳(かけばちょう)をもち,顧客の家では前年配置薬のうち服用分を補充して代金をうけとり,残薬新品に差し替えて取引を継続した。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

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