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富森助右衛門 とみのもり すけえもん

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美術人名辞典の解説

富森助右衛門

江戸中期、赤穂四十七士の一人。名は正因、変名山本長左衛門。禄高二百石。俳諧を能くし、春帆と号する。元禄16年(1703)歿、34才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

富森助右衛門 とみのもり-すけえもん

1670-1703 江戸時代前期の武士。
寛文10年生まれ。赤穂(あこう)四十七士のひとり。山本長左衛門の変名で吉良(きら)邸を偵察,討ち入りの準備をする。討ち入り後は細川邸にあずけられ,元禄(げんろく)16年2月4日切腹。34歳。春帆と号し,俳人としても知られた。名は正因(まさより)。
【格言など】先立ちし人もありけりけふの日を終(つひ)の旅路の思ひ出にして(辞世)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

富森助右衛門

没年:元禄16.2.4(1703.3.20)
生年:寛文10(1670)
江戸前期の武士。赤穂四十七士ひとり。名は正因,馬廻兼使番役で200石。元禄14(1701)年,主君浅野内匠頭長矩が幕府より年賀の勅使の饗応役を命じられると,礼儀正しく弁も立つ助右衛門は,伝奏屋敷の指図や勅使出迎えの任を務めた。長矩が江戸城本丸松の廊下で吉良上野介義央 に刃傷におよび切腹後,助右衛門は仇討ち積極派のひとりとして活躍。吉良邸を偵察し,国学者荷田春満と親交を結び義央の在宅日の確認に努めた。榎本其角と親交があった大高源吾と共に,俳人としても知られる。雅号は春帆。吉良邸討ち入りの翌年,細川邸で切腹した。

(橋本勝三郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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