富田川河床遺跡(読み)とだがわかわどこいせき

日本歴史地名大系 「富田川河床遺跡」の解説

富田川河床遺跡
とだがわかわどこいせき

飯梨いいなし(富田川)に架かる広瀬町富田橋から安来市太平寺たいへいじ橋の間の二・五キロの河川敷地内に所在する戦国時代―江戸時代初め頃の富田城の城下町遺構。寛文六年(一六六六)に起きた大洪水によって流路が東側(富田城側)に移動、当時の町並が埋まったと考えられている。

遺跡地を含む富田庄は鉄を中心に年貢を負担する庄園であった。また富田川の水運も富田城下までは船が通い、製鉄の中心地である中国山地沿いと安来津美保関みほのせき(現美保関町)などの海岸部を結ぶ交通上の要地でもあった。そのため鎌倉時代からこの地域を拠点として活動する商工業者が存在したと推定され、それに伴い集落や市が形成されたとみられる。室町時代以降富田庄に出雲国守護所が置かれると、当地の重要度はさらに高まった。守護の被官となった国人・土豪も屋敷地を与えられて当地に居住し、城下集落としての性格が強まった。文明八年(一四七六)五月二日には尼子氏と反守護の国人一揆の合戦が富田城近くの「三日市」(現安来市矢田町)で行われている(同月一七日「京極政高書状」佐々木家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の富田川河床遺跡の言及

【月山城】より

…毛利氏は毛利元秋や吉川広家などを城主として山陰支配をおこなった。城下の飯梨川(旧名富田川)からは尼子氏代より1666年(寛文6)水没までの城下町遺跡が発見されており,この富田川河床遺跡には掘立柱の町並みの遺構など,中・近世の町並みを示す貴重な遺跡が含まれている。【松浦 義則】。…

※「富田川河床遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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