美保関(読み)ミホノセキ

デジタル大辞泉 「美保関」の意味・読み・例文・類語

みほのせき【美保関】

島根県松江市の地名。島根半島の東端部にあり、古くは海関が置かれ、海上交通の要地。美保神社や、民謡「関の五本松」にちなむ公園がある。みおのせき。

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精選版 日本国語大辞典 「美保関」の意味・読み・例文・類語

みほ‐の‐せき【美保関】

  1. 島根県北東部、島根半島東端の地名。明治三年(一八七〇)までは三保関と書かれた。古くから日本海海運の寄港地、また漁港として栄えた。中世は海関が置かれ、朝鮮との交易港、隠岐への渡航地となり、江戸時代には西廻航路の風待港となった。美保神社、「関の五本松」で名高い五本松公園がある。

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日本歴史地名大系 「美保関」の解説

美保関
みほのせき

現美保関町に設けられていた海関。三尾関・見尾関・三保関・仁保関などとも記された。のち地名に転化し、美保関の所在するところとして、美保関郷すなわち美保郷をも意味するようになった。宝治二年(一二四八)一二月日の蔵人所牒写(真継家文書)によると、左方灯鑢御作手惣官左衛門尉中原光氏が西国における関所の狼藉停止を求めたなかに、門司もじ(現福岡県北九州市)赤間あかま(現山口県下関市)島戸しまど(現同県豊北町)竈戸かまど(現同県上関町)と並んで「三尾」関がみえる。弘長二年(一二六二)一二月日の蔵人所牒写(同文書)にも同様の記述がある。永仁七年(一二九九)若狭国汲部つるべ(現福井県小浜市)の王増が山手塩と米とを交換するため「出雲国王尾津」に廻送したが、この「王尾津」も、三尾津すなわち美保関のことと考えられる(同年二月一一日「若狭国汲部王増注進状」秦家文書)。島根半島の先端部に位置する海関としての美保関は、中世の庄園公領制社会の成立に伴って、庄園年貢の京都への輸送などを主要な目的として、本格的に成立した山陰地域における日本海水運の若狭国小浜おばま(現小浜市)と山陰地域とを結ぶ結節点(中間管理施設)として設置された。丹後半島以西の西日本海地域のほぼ中間点に位置し、海上からの目印となる伯耆大山を背後に控え、中海・宍道湖を抱えた良港であり、かつ隠岐国との渡航地点でもあったことなどが、美保関成立の地理的・歴史的前提条件であったと考えられる。

「承久記」下に「出雲国大八浦と云所に付せ給ふ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「美保関」の意味・わかりやすい解説

美保関
みほのせき

島根県東部、八束郡(やつかぐん)にあった旧町名(美保関町(ちょう))。現在は松江市の北東部を占める地域。島根半島の東端に位置し、北は日本海、南は美保湾、境(さかい)水道、中海(なかうみ)に臨む。旧美保関町は、1924年(大正13)町制施行。1955年(昭和30)千酌(ちくみ)、森山、片江の3村と合併。2005年(平成17)松江市に合併。国道431号、485号が通じ、松江からの定期バスがあり、境水道大橋(1972年完成)により境港(さかいみなと)市(鳥取県)などと結ばれる。地域の80%近くを山林が占めているが、丘陵地ではミカン、カキなどが栽培されている。七類(しちるい)港は隠岐(おき)航路の基点。美保関地区は古くから海関の置かれた地で、室町期には朝鮮、九州、北陸への船の寄港地、近世は西廻(にしまわり)航路の風待ち港として繁栄。また美保神社の鳥居前町でもある。日本海に面した千酌、片江なども古くから天然の良港として知られ、片江は機船底引網漁業発祥地。半島東部は美保ノ北浦(国指定名勝)など景勝地が多く、大山隠岐(だいせんおき)国立公園の一部。縄文時代の権現山洞窟(ごんげんやまどうくつ)住居跡、サルガ鼻洞窟住居跡はともに国指定史跡。仏谷寺(ぶっこくじ)の薬師如来など5体の仏像が重要文化財に指定されている。民謡『関の五本松』の発祥地。

[江村幹雄]

『『片江郷土誌』(1965・同書編集委員会)』『『美保関町史料』(1979・美保関町)』『『美保関町誌』(1986・美保関町)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「美保関」の意味・わかりやすい解説

美保関
みほのせき

島根県北東部,松江市北東部の旧町域。島根半島東端にある。 1924年町制。 1955年千酌村,片江村,森山村の3村と合体。 2005年松江市,鹿島町,島根町,八雲村,玉湯町,宍道町,八束町の7市町村と合体して松江市となった。中心集落の美保関は古くから北陸水路の要衝,漁港として,近世は西回り航路の風待ち港,コトシロヌシノミコトをまつる美保神社門前町として発展。明治末期からは京阪神方面へ水産物の販路を開き商業も栄えた。現在は地元漁船の基地。日本海に臨む七類海岸 (名勝) をはじめとする海岸美や,美保湾に臨む関ノ五本松で有名な五本松公園など観光資源に恵まれ,国の史跡指定の権現山洞窟住居跡,サルガ鼻洞窟住居跡がある。 1972年境水道に境大橋が完成して鳥取県境港市と結ばれた。片江は機船底引網漁業の「片江船団」で知られる。美保関灯台を含む日本海側沿岸一帯は大山隠岐国立公園に属する。

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百科事典マイペディア 「美保関」の意味・わかりやすい解説

美保関[町]【みほのせき】

島根県八束(やつか)郡,島根半島東端の旧町。主要部は美保湾に面し,西廻り海運の風待ち港,漁港,漁民の信仰を集める美保神社の鳥居前町として発展。漁業,水産加工が盛ん。民謡で名高い〈関の五本松〉ゆかりの老松が残る対岸の鳥取県境港市と境水道大橋で結ばれる。2005年3月八束郡鹿島町,島根町,玉湯町,宍道町,八束町,八雲村松江市へ編入。55.39km2。6832人(2003)。
→関連項目大山隠岐国立公園

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改訂新版 世界大百科事典 「美保関」の意味・わかりやすい解説

美保関 (みほのせき)

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