富納庄(読み)とみのうのしよう

日本歴史地名大系 「富納庄」の解説

富納庄
とみのうのしよう

現泗水町富納付近に比定される太宰府天満宮安楽寺領の荘園。建長二年(一二五〇)六月三日の修理別当大鳥居信全所領注進状案(太宰府神社文書)に先祖相伝所帯屋敷名田等のうちとして、「一、肥後国富納・片俣御灯油納所」とみえ、片俣かたまた(現大津町)とともに安楽寺の灯油納所であったことが知られる。正和二年(一三一三)九月一六日の鎮西下知状(太宰府神社文書)によると、当時安楽寺少別当信朝は前年に出された神領興行法を受けて、富納・片俣の両庄は一円神領であり、大友貞宗押領されているので同法に任せ糺返してほしいと鎮西探題に訴えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む