日本歴史地名大系 「寒井村」の解説 寒井村さぶいむら 栃木県:那須郡黒羽町寒井村[現在地名]黒羽町寒井北東境から東境を那珂川が流れ、村の中央を南東へ流れる余笹(よささ)川が合流する。南は檜木沢(ひのきざわ)村、那珂川対岸は稲沢(いなざわ)村(現那須町)・川田(かわだ)村・大輪(おおわ)村。南北に通る関街道沿いが町場となっている。「吾妻鏡」文治五年(一一八九)七月二八日条によれば、奥州へ進軍した源頼朝が、同日「新渡戸駅」に着き、軍勢の数を確認するため、御家人らに手勢を注進させた。この「新渡戸駅」を当村付近に比定する説がある。村名の由来には諸説があり、那須資隆が高館(たかたて)城を川田・大輪に築いた際、城西にあたる当地に侍を住まわせたことから、さむらいが転訛してさぶいとよばれるようになり、のち寒井の字をあてたとも、川風がすさまじく吹く地であるので寒井とよばれていたが、資隆により「佐武居」と改められたともいう。当村は館下(たてした)・大野室(おおのむろ)・矢組(やぐみ)・糠塚原(ぬかつかはら)などの集落からなり、館下は高館城の城下の意。矢組は同城を築く時に矢組の侍を住まわせたことによるとされ、矢組五郎の居館と伝える矢組館がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by