百科事典マイペディア 「寛正の大飢饉」の意味・わかりやすい解説 寛正の大飢饉【かんしょうのだいききん】 中世最大の飢饉といわれる1461年(寛正2年)の飢饉。前年の長雨,異常低温,台風などにより近畿・山陰・北陸地方が大飢饉となり,窮乏した難民が京都に集まったが,餓死者は8万人以上,加茂(かも)川は一面餓死者で覆われたという。翌年京都・河内・奈良など広範囲で寛正の土一揆が起きた。→長禄・寛正の飢饉→関連項目飢饉|碧山日録 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by
山川 日本史小辞典 改訂新版 「寛正の大飢饉」の解説 寛正の大飢饉かんしょうのだいききん ⇒長禄・寛正の飢饉(ちょうろく・かんしょうのききん) 出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報 Sponserd by