日本歴史地名大系 「寸沢嵐村」の解説
寸沢嵐村
すあらしむら
[現在地名]相模湖町寸沢嵐
近世は寛文四年(一六六四)久世(のち下総関宿藩)領、貞享元年(一六八四)幕府直轄領。元禄年間津久井領諸色覚書(県史六)によれば田四町五反余、畑一五〇町余、百姓一五〇軒、寺九、人数九九四人、馬一四〇。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
近世は寛文四年(一六六四)久世(のち下総関宿藩)領、貞享元年(一六八四)幕府直轄領。元禄年間津久井領諸色覚書(県史六)によれば田四町五反余、畑一五〇町余、百姓一五〇軒、寺九、人数九九四人、馬一四〇。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...