寺中町(読み)じちゆうまち

日本歴史地名大系 「寺中町」の解説

寺中町
じちゆうまち

[現在地名]博多区上呉服町(かみごふくまち)

博多の東部、聖福(しようふく)寺境内の北、普賢堂(ふげんどう)町・西教(さいきよう)寺の南、石堂(いしどう)川(御笠川)の左岸に位置する。遠賀(おんが)郡芦屋(あしや)(現芦屋町)の千光(せんこう)院寺中や鞍手(くらて)郡植木(うえき)(現直方市)の寺中などと同様に芸能者の集住する町であった。面役は免除され(石城遺聞)、「筑陽記」「続風土記」「石城志」では流に属さない町に扱われるが、「続風土記附録」「続風土記拾遺」では新町流の一町とする。「続風土記」は「歌舞を業とせる倡優の住む町」とし、住人たちは栄西帰朝の時、ともに来朝した唐土の者たちの子孫で、栄西が唐土から渡った者たちに阿弥陀経を教え、僧衣と数珠を授け、寺地を与えて金松山西光寺と号し、九品宗と名付けて念仏三昧を修せしめたとの由緒を伝えていた。子孫はのちに念仏を止め、歌舞を業とするようになったという。「石城志」「続風土記附録」によると、町は初め聖福寺の東、同寺塔頭禅居庵の辺りにあったが、寛文年中(一六六一―七三)当地に移ったという。「筑前名所図会」では草葺の町家が東西に並び、西端に観音堂が描かれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報