日本歴史地名大系 「寺所村」の解説 寺所村てらどこむら 長野県:南安曇郡豊科町寺所村[現在地名]豊科町大字南穂高(みなみほたか) 寺所犀(さい)川の左岸段丘上に位置する。初見は明応一〇年(一五〇一)の三宮穂高社御造宮定日記(穂高神社蔵)である。旧犀川河床を流れている中曾根(なかぞね)川に沿って段丘上に南から上手(わで)・四ッ屋(よつや)・田甫(たんぼ)・西(にし)ノ側(がわ)・原村(はらむら)等の集落が並列している。上手・四ッ屋の段丘下には湧水があってこれが花見(けみ)地帯を流れて踏入(ふみいり)(現豊科町)の甚田島(じんだしま)・どうけん島に達し、とわの川となっている。天正一〇年(一五八二)頃の「岩岡家記」に「寺所河原」とみえるのは、この地域を示すもので、当時犀川が当村と田沢の徳次郎(たざわのとくじろう)(現豊科町)との間を流れていたことを物語っている。 寺所村てらどこむら 山梨県:西八代郡六郷町寺所村[現在地名]六郷町寺所五八(ごはち)村の東、御坂(みさか)山地の南西末端部、三沢(みさわ)川の支流樋田(といだ)川右岸の段丘と山地に立地する。南は熊沢(くまざわ)村(現下部町)。山峡の僻村で、山中(やまなか)八村の一。村名は古寺があったことにちなむという(甲斐国志)。慶長古高帳に寺所とみえ高三八石余、幕府領。文化(一八〇四―一八)初年の高一七石余、家数一四・人数五二、馬二(甲斐国志)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by