改訂新版 世界大百科事典 「寺沢堅高」の意味・わかりやすい解説
寺沢堅高 (てらさわかたたか)
生没年:1609-47(慶長14-正保4)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…肥前国(佐賀県)松浦郡唐津に藩庁を置いた譜代中藩。1593年(文禄2)朝鮮の役で改易された波多信時に代わって豊臣大名寺沢広高が配置されたことに始まる。石高は6万3000石。98年(慶長3)朝鮮の役における軍功によって筑前怡土(いと)郡2万石,1600年関ヶ原の戦における戦功によって肥後天草4万石が加増された。合計石高12万3000石。広高は唐津城を完成する一方,新田開発,松浦川の改修工事,虹ノ松原防風林の植樹につとめ,16年(元和2)には総検地を実施して,藩制の基礎を整備したが,2代堅高のとき勃発した島原の乱によって天草4万石が没収され,47年(正保4)世嗣断絶によって改易となった。…
※「寺沢堅高」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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