日本大百科全書(ニッポニカ) 「対華非干渉運動」の意味・わかりやすい解説
対華非干渉運動
たいかひかんしょううんどう
日本帝国主義の中国革命干渉に対する無産階級の統一的反対闘争。当時は「対支非干渉運動」と称した。1925~27年(大正14~昭和2)の中国国民革命、北伐の進展に対し、27年4月20日成立した田中義一(ぎいち)内閣は第一次山東出兵を強行し、東方会議で軍事干渉、中国東北部分割政策を決定した。この過程において中国国民党駐日総支部は2月12日、4月14日の二度にわたり無産政党各派を招請し、対華非干渉運動の組織化を提案した。これにこたえ、労働農民党は3月28日と、4月4日に繰り返し対支非干渉同盟結成を呼びかけ、4月28日東京府下数十の無産団体の参加で対支非干渉同盟組織準備会を正式発足させ、また13地域で地方同盟を結成した。この盛り上がりのなかで、準備会発足の同日に日本労農党が共闘を提唱、翌日労働農民党が申入れに応じ両党の対華非干渉共同行動が実現した。共闘は演説会、抗議行動の範囲にとどまり1か月の短命に終わったが、戦前では例外的な共産主義者、左翼および中間派社会民主主義者の統一行動で、しかも反戦という高度な政治目標を掲げた統一行動となった。しかし左翼内部のセクト主義的な、下からの統一戦線戦術(「上から」の統一戦線軽視)を理由に、共闘を中央間に限定してきた日本労農党は共闘破棄を決定し、あえなく共闘が分裂したのち、5月31日労働農民党など左派17団体は対支非干渉全国同盟を結成した(委員長山本宣治(せんじ))。同盟にはその後日本労農党系の組合同盟関西合同、総連合京浜労働技友会も参加するが、左派中心で、大衆運動として根づかずに終わった。しかし、27年末ごろまでカンパニア闘争を続け、翌28年戦争反対同盟に、さらに29年国際反帝同盟日本支部に発展した。
[荒川章二]
『大野節子著『1927年の対支非干渉運動』(増島宏編『日本の統一戦線 上』所収・1978・大月書店)』▽『犬丸義一著『日本人民戦線運動史』(1978・青木書店)』▽『平和運動30年記念委員会編『戦争と平和の日本近代史』(1979・大月書店)』