寿徳院跡(読み)じゆとくいんあと

日本歴史地名大系 「寿徳院跡」の解説

寿徳院跡
じゆとくいんあと

[現在地名]八幡市八幡山路

おとこ山の東方にあった寺で、現存しない。律宗。雄徳山と号し、本尊阿弥陀如来。江戸時代は、石清水いわしみず八幡宮領内律宗五ヶ寺組のうちであった。古くは金振かなぶり山本やまもと(現八幡市)の男山中腹市殿いちどの坂の南にあり、その跡地竹藪となり小門が残っていたという。天保年中(一八三〇―四四)北小路きたこうじの社士富森御春の居宅を求め移転したという(男山考古録)。「男山考古録」に「開山不知、或云、実海和尚、文明十一己亥年三月二日入寂、中興昭珎和尚といふ、この地に移りしは憲淳といふ」とみえる。慶長五年(一六〇〇)朱印状(石清水八幡宮史)によると朱印地四〇石。昭和九年(一九三四)の台風で被害を受け、本尊木造阿弥陀如来立像(国指定重要文化財)善法律ぜんぽうりつ(現八幡市)に移された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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