尋禅(読み)じんぜん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尋禅」の解説

尋禅 じんぜん

943-990 平安時代中期の僧。
天慶(てんぎょう)6年生まれ。藤原師輔(もろすけ)の10男。母は雅子(がし)内親王。天台宗比叡(ひえい)山で良源に顕密二教をまなぶ。天延2年(974)天台宗初の一身阿闍梨(あじゃり)となり,のち天台座主(ざす)につく。晩年,飯室(いいむろ)谷に退隠。永祚(えいそ)2年2月17日死去。48歳。通称は飯室座主,妙香院。諡号(しごう)は慈忍。著作に「戒壇院本尊記」「金剛宝戒章」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の尋禅の言及

【延暦寺】より

…白河上皇が天下三不如意の一つとして〈山法師〉をあげたというのは,まさにこの時代の山門僧兵のことである。僧兵の横暴の反面,貴族化もすすみ,藤原師輔の息尋禅が良源の弟子となり,20世座主になってから,貴族・皇族の入寺がつづき,座主に貴族出身者が多くなって,やがて門跡(もんぜき)が成立する。まず梨本円融房(のちの梶井門跡),ついで青蓮(しようれん)院,やや遅れて妙法院曼殊院などの門跡が成立した。…

【良源】より

…さらに毎年6月に行う法華大会に広学竪義(こうがくりゆうぎ)という論義を設けて教学の振興につとめた。良源の門下からは源信覚運,覚超,尋禅(じんぜん)など学匠が多数でている。 良源の活動によって延暦寺は他の教団を圧し,末寺や荘園も増加し,世俗的にも強大な存在となった。…

※「尋禅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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