李璟(読み)りえい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「李璟」の意味・わかりやすい解説

李璟
りえい
(916―961)

中国、五代南唐の第2代の国主中主(ちゅうしゅ)または嗣主と称される。初め景通(えいつう)といったが、のちに璟に改めた。徐州江蘇(こうそ)省)の人、また湖州(浙江(せっこう)省)の人ともいわれる。943年(保大1)に即位在位19年にして没した。才芸に富み、読書を愛好し、詩、書をよくした。詞はもっとも得意とするところで、子の後主煜(こうしゅいく)とともに新境地を開いたが、今日伝わる詞はわずか4首にしかすぎない。詩も断片若干と七言律詩1首を伝えるだけである。『浣渓沙(かんけいさ)』(詞)の「細雨(こさめ)に夢の回(さ)めて鶏塞(けいさい)遠く、小楼(さどの)に吹き徹(つ)くして玉笙(ぎょくしょう)寒し」の句は、古来より名句として名高い。詞4首は、後主煜の作品とあわせて『南唐二主詞』に収められる。

青山 宏]

『村上哲見注『中国詩人選集 16 李煜』(1959・岩波書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「李璟」の意味・わかりやすい解説

李璟
りけい
Li Jing; Li Ching

[生]貞明2(916)
[没]建隆2(961)
中国,五代十国の南唐の第2代王 (在位 943~961) 。初名は景通。字は伯玉。廟号は元宗。中主と呼ばれることが多い。南唐の烈祖李べん長子。初め呉に仕え,べんが南唐を建てると斉王から皇太子に立てられ,保大1 (943) 年烈祖が死ぬと即位した。 閩 (びん) を合併するなど国力盛んで中原を制したが,やがて敗戦天災が重なり,後周の属国となった。政治的には失敗したが,芸術を愛し,豊富な経済力をもって,争乱を避けて逃げてくる文人を保護し,高い文化を誇った。徐鉉,馮延已らを臣下としてみずからも詩詞を作り,特に詞では息子の後主李 煜 (りいく) とともに「南唐二主」と称されるが,現存する確かな作はわずか3首にすぎない。

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世界大百科事典(旧版)内の李璟の言及

【文房四宝】より

…文房四玩とか,文房四友あるいは文房四侯ともいう。中国で文房具に特に興味をもち出したのは漢代までさかのぼるようであるが,10世紀初期,五代の南唐の中主(李璟(りえい)),後主(李煜(りいく))という風流天子が出て,李廷珪(りていけい)の墨,澄心堂紙などの高級品をつくらせて,文房具は空前の発達をみ,中国人の文房具趣味を促した。さらに10世紀後半,北宋の高官蘇易簡(そいかん)は,《文房四譜》(《文房四宝譜》ともいう)5巻を著し,筆譜2巻,硯・墨・紙譜各1巻,それに筆格,水滴をつけ加えて解説をほどこした。…

【李煜】より

…もと通俗歌謡にはじまる詞は,宋代になると抒情的韻文として流行するが,その過程において李煜の存在は重要である。父の南唐中主,李璟(りえい)も数は少ないが優れた詞を残しており,2人の作を併せた《南唐二主詞》がある。【村上 哲見】。…

※「李璟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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