20世紀日本人名事典 「小倉ミチヨ」の解説
小倉 ミチヨ
オグラ ミチヨ
大正・昭和期の性研究家
- 生年
- 明治27(1894)年9月14日
- 没年
- 昭和42(1967)年7月10日
- 出生地
- 愛媛県
- 旧姓(旧名)
- 坂本
- 学歴〔年〕
- 松山技芸女学校専攻科〔大正6年〕卒
- 経歴
- 親に強いられた結婚生活を解消し、女学校卒業後に小学校教員となる。上京して性の研究報告誌「相対」発行人・哲学者小倉清三郎を知り、大正8年結婚。「相対」は性文化を真剣に研究するサークルで、芥川龍之介ら作家、医師、大学教授など多くのインテリが会員となり、会員相互の性体験を掲載。警視庁の手入れを受け、出版法違反に問われ有罪になりながら、一時中断、刊行を繰り返した。貧困、官憲との対決の中、夫はエロ学者といわれて昭和16年病死。その後は独力で会を続けたが、19年解散に追いこまれた。戦後「相対会研究報告」(全34冊)として復刻されたが、わいせつ図書販売で逮捕、押収され、新憲法下の戦後社会でも「エロ婆さん」といわれた。空襲から守りぬいた貴重な文献も“幻の資料”のままとなった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報