改訂新版 世界大百科事典 「小倉清三郎」の意味・わかりやすい解説
小倉清三郎 (おぐらせいざぶろう)
生没年:1882-1941(明治15-昭和16)
性科学者,社会運動家。福島県生れ。性についての個人の赤裸々な体験を集め帰納的方法によってその本質を探ろうとした業績は,当時タブーとされた問題に科学の光をあてたものとして画期的である。熱心なクリスチャンであったが,肉欲との葛藤に悩んだ末,性の研究を志し,26歳のとき東京帝国大学文学部哲学科に入学。5年にわたる在学中,H.エリスの著作に接し,性の問題を科学的に究明する決意を固めた。1913年,《相対会第一組合小倉清三郎研究報告》第1集を発行。大正デモクラシーの機運に乗って,一時は平塚らいてう,坪内逍遥,芥川竜之介,大杉栄ら多彩な顔ぶれの会員を擁したが,17年に第9集が出版法違反に問われ,法廷闘争の末,3年後に無罪をかち取った。小倉の没後は,妻ミチヨが相対会を守り,《相対会報告書》全34巻(1952-55)を復刻している。
執筆者:山下 武
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報