小原光雲(読み)オハラ コウウン

20世紀日本人名事典 「小原光雲」の解説

小原 光雲
オハラ コウウン

大正・昭和期の華道家 小原流生け花第2代家元。



生年
明治13(1880)年12月

没年
昭和13(1938)年8月13日

出生地
島根県松江市

本名
小原 光一郎

経歴
小原流生け花の始祖・小原雲心の長男。父に呼び寄せられて大阪に移り、はじめ商人を目指すが、小原流興隆のため25歳で華道家に転身。大正5年父の死を受けて小原流家元を継承。以来、積極的に生け花展を開催し、ラジオや新聞・雑誌などで講座を受け持つなど、生け花の大衆化に尽力。また後継者を育成するため、技法や教授法を整備した。大阪花道協会長などを歴任し、自由花系諸流派の旗頭を務めたほか、作者としても秀で、天皇皇后御座所でもたびたびその腕前を披露。これらの活動の甲斐あって、小原流は先代以上の隆盛を誇るようになった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小原光雲」の解説

小原光雲 おはら-こううん

1880-1938 大正-昭和時代前期の華道家。
明治13年12月生まれ。小原流初代家元小原雲心の長男。商人をこころざすが,小原流盛花(もりばな)の普及のため,大正5年2代家元をつぐ。女性教授者の養成,集団教授法の考案など,小原流の発展組織確立につとめた。昭和13年8月13日死去。59歳。島根県出身。本名は光一郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の小原光雲の言及

【小原流】より

…洋花を使った色彩の華麗ないけばなが大正から昭和にかけて大衆に愛好され,盛花は小原流の代表的いけばなとなった。この盛花を様式的に完成させ,瓶華とあわせて指導のカリキュラムを確立し,小原流の全国組織の基盤をつくりあげたのは2代の小原光雲であった。光雲は野外における研究会,デパートにおいてはじめての花会を開催するなど,盛花を中心として近代的な大衆への普及につとめた。…

※「小原光雲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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