小原慶山(読み)おはら・けいざん

朝日日本歴史人物事典 「小原慶山」の解説

小原慶山

没年:享保18.7.29(1733.9.7)
生年:生年不詳
江戸中期画家。名は雅俊。字は霞光。はじめ渓山と号す。丹波(兵庫県)の人。京都へ行き,さらに江戸へ出て狩野洞雲に入門。寛文8(1668)年から延宝2(1674)年ごろの間に長崎に移って河村若芝師事。慶山以降,石崎元徳,荒木元融,石崎融思へとつながる,長崎のひとつの有力な画系の祖となった。作品には,長崎ならではの題材を扱った「万国人物図巻」「来禽図巻」(ともに神戸市立博物館蔵),長崎派のアカデミック様式を示す「雪梅叭々鳥図」(長崎市立博物館蔵)などのほか,喜多元規風の黄檗肖像画もある。

(佐藤康宏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小原慶山」の解説

小原慶山 おはら-けいざん

?-1733 江戸時代前期-中期の画家。
江戸で狩野洞雲(どううん)にまなび,のち長崎にうつり河村若芝(じゃくし)に師事。花鳥・山水・人物画にすぐれた。黄檗(おうばく)僧の頂相(ちんぞう)(肖像)には喜多元規(げんき)の影響がみられる。享保18年7月29日死去。名は雅俊。字(あざな)は霞光(かこう)。初号は渓山。作品に「雪梅叭々鳥(ははちょう)図」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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