朝日日本歴史人物事典 「小原慶山」の解説
小原慶山
生年:生年不詳
江戸中期の画家。名は雅俊。字は霞光。はじめ渓山と号す。丹波(兵庫県)の人。京都へ行き,さらに江戸へ出て狩野洞雲に入門。寛文8(1668)年から延宝2(1674)年ごろの間に長崎に移って河村若芝に師事。慶山以降,石崎元徳,荒木元融,石崎融思へとつながる,長崎のひとつの有力な画系の祖となった。作品には,長崎ならではの題材を扱った「万国人物図巻」「来禽図巻」(ともに神戸市立博物館蔵),長崎派のアカデミックな様式を示す「雪梅叭々鳥図」(長崎市立博物館蔵)などのほか,喜多元規風の黄檗僧肖像画もある。
(佐藤康宏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報