狩野洞雲(読み)かのう・とううん

朝日日本歴史人物事典 「狩野洞雲」の解説

狩野洞雲

没年元禄7.1.8(1694.2.11)
生年:寛永2(1625)
江戸前期の画家。金工家後藤益乗の次男。幼名は,山三郎。はじめ松花堂昭乗に書を学び,11歳で狩野探幽養子となり,字を采女,名を益信とする。のち探幽に実子ができたため別家。寛文5(1665)年洞雲を号とし,同7年幕府から江戸駿河台屋敷拝領,表絵師駿河台狩野の祖となる。天和2(1682)年には禄20人扶持を給せられ,元禄4(1691)年法眼に叙せられ表絵師の筆頭格となった。「唐人物図襖絵」(京都山科毘沙門南宸殿),「扇面散屏風」(個人蔵)などの作品が知られる。

(星野鈴)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「狩野洞雲」の解説

狩野洞雲 かのう-どううん

1625-1694 江戸時代前期の画家。
寛永2年生まれ。狩野探幽の養子となるが,探幽に探信,探雪の2子ができ,万治(まんじ)2年に別家。寛文7年(1667)幕府から屋敷をあたえられ,駿河台(するがだい)狩野家をたて表絵師の筆頭格となった。元禄(げんろく)4年法眼(ほうげん)。元禄7年1月8日死去。70歳。名は益信。通称は采女。

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