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河村若芝 かわむらじゃくし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

河村若芝
かわむらじゃくし

[生]寛永15(1638).佐賀
[没]宝永4(1707).10.1. 長崎
江戸時代初期の長崎派画家,金工家。俗姓は河邨 (かわむら) ,名は喜左衛門。号は若芝,紫陽など。法諱は道光。長崎へ出て逸然に師事し,写生的な花鳥画,肖像画を描き,長崎漢画派の基礎を築く。香炉,花瓶,刀剣装飾の金工にもすぐれ,人物,山水,竜虎,獅子などの図柄を精巧に鏤金 (るきん) した「若芝鐔」で人気を得た。主要作品『達磨図』『道者超元像』『布袋渡河之図』。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

河村若芝 かわむら-じゃくし

1638-1707 江戸時代前期の画家,装剣金工。
寛永15年生まれ。逸然性融(いつねん-しょうゆう)に師事し,長崎漢画の一派若芝流をひらく。また木庵性瑫(もくあん-しょうとう)に金工をまなび鐔(つば)細工にすぐれた。若芝鐔工(たんこう)派の開祖。宝永4年10月1日死去。70歳。肥前佐賀出身。名は道光。字(あざな)は蘭渓別号に烟霞道人,風狂子。作品に「群仙星祭図」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

かわむらじゃくし【河村若芝】

?‐1707?(宝永4?)
江戸中期の長崎の画家。肥前佐賀の豪族の出身であるが,隠遁(いんとん)して長崎に住した。黄檗(おうばく)宗の渡来僧逸然から絵を学び,かたわら同宗の肖像画家喜多元規の感化を受け,仏像,神仙などの絵を描いたが,山水や着色の花鳥もよくしたという。また,若芝は金工家としても名があり,香炉,花瓶,刀剣装飾の具などを作ったが,その技法は渡来僧木庵から学んだという。彼の没時の年齢については数説があり,一定していない。

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世界大百科事典内の河村若芝の言及

【長崎派】より

…(1)黄檗(おうばく)派は,黄檗宗の中国僧によって伝えられた写実的な高僧肖像画を学び,喜多元規らの肖像画家を生んだ(黄檗美術)。(2)漢画派は,1644年(正保1)に来朝した黄檗僧逸然(1600か01‐68)を祖とし,河村若芝(1629か38‐1707),渡辺秀石(1639‐1707)らが謹厳な北宗画風の絵を描き,秀石は唐絵目利職につくなど,長崎派の主流となった。(3)南蘋(なんぴん)派は,1731年(享保16)に渡来した沈銓(しんせん)(南蘋)にはじまる。…

※「河村若芝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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