頂相(読み)ちんぞう

精選版 日本国語大辞典 「頂相」の意味・読み・例文・類語

ちん‐ぞう ‥ザウ【頂相】

〘名〙 (「ちんそう」とも。「ちん」は「頂」の唐宋音) 仏語。禅宗で、祖師または先徳などの肖像画。半身像が多いが、全身像にもいう。
正法眼蔵(1231‐53)嗣書「善知識会下に参じて、頂相一幅、法語一軸を懇請して嗣法標準にそなふ」 〔梁簡文帝‐四月八日度人出家願文〕

ちょう‐ぞう チャウザウ【頂相】

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デジタル大辞泉 「頂相」の意味・読み・例文・類語

ちん‐ぞう〔‐ザウ〕【頂相】

《「ちんそう」とも。「ちん(頂)」は唐音禅宗高僧肖像画像は写実性が要求され、師がみずからの頂相画にをつけて弟子に与え伝法あかしとした。彫像で表した頂相彫刻もある。中国代から隆盛をみ、日本では鎌倉時代にすぐれた作品が多い。ちょうそう。

ちょう‐そう〔チヤウサウ〕【頂相】

ちんぞう(頂相)

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改訂新版 世界大百科事典 「頂相」の意味・わかりやすい解説

頂相 (ちんそう)

〈ちんぞう〉または〈ちょうそう〉ともいう。仏の頂(いただき)(頭部)は本来無相,すなわち見るあたわざるものであるが,その相貌を彫像あるいは画像で表現したものが頂相であり,転じて禅僧の彫像もしくは画像の通称となった。禅宗では〈法〉は師から弟子へ受けつがれるものであり,したがって師の像容を写した頂相はもっとも尊重され,生けるがごとく敬慕される。画像の場合,通常,師が伝法の印可(悟道の熟達を証明したもの)として図上に著賛し,その法嗣に付与したものである。一般には曲彔(きよくろく)(法会に用いる椅子)上に趺坐(ふざ)し,右手に竹篦(しつぺい),払子(ほつす),警策(けいさく)をもつ全身像が基本であるが,画像では半身像,経行(きんひん)像(経を唱えながら歩行する姿),夢中像,円相像,再来説に基づくものなど,像主の境涯や説話をとり入れた像容をもつ頂相もある。像主生存中のものを寿像(じゆぞう),没後の制作を掛真(けしん)といい,面貌の向きを異にするが例外もある。また黄檗宗では真正面の画像が用いられている。中国では北宋から南宋時代を通じて,また日本では鎌倉時代末から室町期にかけて,臨済系統において盛行した。いずれも面貌の描写迫真写照が要求され,中国における〈伝神写貌〉の伝統が,日本の肖像画ないしは肖像彫刻全般に与えた影響は大きい。舶載頂相には13世紀の画像《無準師範像》(東福寺,国宝)などがあり,14世紀の《蘭渓道隆像》(建長寺,国宝),《大灯国師(宗峰妙超)像》(大徳寺,国宝),木彫で13世紀制作の《仏光国師(子元祖元)像》(円覚寺)をはじめとして日本でも多数の作品が制作された。
肖像
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「頂相」の意味・わかりやすい解説

頂相
ちんぞう

禅僧の肖像画。禅宗では,法の師資相承を重んじることから印可の証明として,師の肖像画と法語を弟子に与える。中国の北宋時代から盛大に行われ,日本にも伝来し鎌倉,室町時代に盛行した。禅宗の発展とともに禅林で多数描かれ,日本の肖像画にも影響を及ぼした。道元禅師が帰国の際に如浄禅師の頂相を付与された例が古く,以後宋風の影響を脱して『大燈国師像』,無等周位筆『夢窓国師像』など日本的肖像画も制作された。袈裟を着け,払子 (ほっす) を持ち,曲ろくに坐す姿を描いた全身像と上半身を描く半身像の2種類があり,上部に師の自賛が墨書されるのが原則。南北朝時代以後には俗人でも出家した者は,『北条時頼像』のように頂相形式で描かれることが盛んになった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「頂相」の解説

頂相
ちんぞう

「ちんそう」とも。頂相の語は本来仏の頭頂部の相貌を意味するが,転じて禅僧の相貌,すなわち肖像画の通称として中国宋代に定着,のち日本でも用いられるようになった。禅宗では師資相承を旨とするので,師の頂相がきわめて尊重される。通常,師は法を伝えた証として自分の頂相に賛を書いて弟子に与え,弟子はこれを師の忌日などにかけて供養する。画像は法会用の椅子の曲彔(きょくろく)に座した全身像が一般的だが,半身像や円相内に描かれた円相像,歩行中の姿を描いた経行(きんひん)像などもある。日本では鎌倉末期からとくに臨済宗で盛んに行われ,室町時代にかけて多数の優れた画像が制作された。

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百科事典マイペディア 「頂相」の意味・わかりやすい解説

頂相【ちんそう】

禅僧の彫像,画像。〈ちんぞう〉〈ちょうそう〉ともいう。禅宗において,祖師の忌日にその画像を法堂に掛け,また修行をつんだ印可の証として師の画像を弟子に授ける習慣があったため,中国では北宋代以降,日本では鎌倉時代以降数多く制作された。上半身像と曲【ろく】(きょくろく)に座した全身像の2形式がある。
→関連項目禅宗美術

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旺文社日本史事典 三訂版 「頂相」の解説

頂相
ちんそう

禅宗の僧侶の間で,師が弟子に与える肖像画
「ちんぞう」とも読む。禅宗では,弟子が一人前になると,その師は伝法のしるしとして肖像画に自賛を書いて弟子に与えた。この習慣は中国の北宋時代(960〜1127)に盛んで,日本には鎌倉時代に伝えられて以来,室町・江戸時代にも行われ,その写実的な描写法は肖像画の発展に大きく影響した。大徳寺『大灯国師像』,妙智院『夢窓国師像』,建長寺『蘭渓道隆像』などが有名。

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世界大百科事典(旧版)内の頂相の言及

【頂相】より

…〈ちんぞう〉または〈ちょうそう〉ともいう。仏の頂(いただき)(頭部)は本来無相,すなわち見るあたわざるものであるが,その相貌を彫像あるいは画像で表現したものが頂相であり,転じて禅僧の彫像もしくは画像の通称となった。禅宗では〈法〉は師から弟子へ受けつがれるものであり,したがって師の像容を写した頂相はもっとも尊重され,生けるがごとく敬慕される。…

【江戸時代美術】より

…美濃の遊行僧円空が,地方民衆の素朴な信仰に支えられて各地に残したおびただしい木彫像は,古代以来の鉈(なた)彫りの伝統を蘇生させたものであるが,ここにも黄檗彫刻の影響が認められる。また寛文から元禄ころ(1661‐1704)にかけて,黄檗宗の高僧の頂相(ちんそう)絵画がさかんにつくられた。これは,西洋の写実手法の影響を強く受けた明末・清初の肖像画法によるもので,江戸時代洋風画史の第1段階としても注目される。…

【黄檗美術】より

… 絵画の分野では,黄檗画像がまずあげられる。これは,隠元,木庵,即非など,渡来した黄檗高僧の頂相(ちんそう)で,17世紀後半から18世紀にかけおもに長崎で描かれた。伝統的な頂相の手法とは異なり,赤や黄の原色の法衣をまとった真正面向きの像で,その顔には西洋風の陰影を施しきわめて写実的である。…

【鎌倉時代美術】より

…京都長福寺)など作品が多く,その作柄の高さは一般の仏教美術の水準をしのいでいる。《花園天皇像》はまた似絵の伝統的画法に頂相(ちんそう)の筆意を加えたものとして注目されている。
[新仏教の美術と鎌倉]
 いわゆる鎌倉新仏教が文化,特に造形美術の上に影響を及ぼしだすのは13世紀後半といってよいであろう。…

【肖像】より

…にもかかわらず黄檗系画像や道教像,朝鮮の帝王図では正面性を堅持している。同じ尊崇性の強い頂相(ちんそう)(禅僧画像)では日常性の中に高い精神性を見いだすため,あえて正面性を避け斜め正面表現とする例も生じた。この場合,顔の向きに意味が付加されてくる。…

※「頂相」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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