「ちんぞう」または「ちょうそう」とも読む。禅僧の肖像画のことであるが、本来の字義は、見ることのできない仏の頂(いただき)(頭部)の相貌(そうぼう)のこと。禅宗では、法は人によって伝わるとするため、師を重んじてその頂相をも尊重する。そのため忌日には初祖をはじめ関係の深い高僧の画像を法堂(ほっとう)にかけるほか(掛真(けしん)という)、修行を積んだ印可(いんか)の証として師の肖像を法嗣(ほっす)に付与する。この場合、いずれも師を生けるがごとく写実することが求められ、画像には師自らが賛を添える(没後ならば縁の深い僧が賛をする)習わしがある。像主生前のものを寿像(じゅぞう)、没後のものを遺像という。曲彔(きょくろく)に座し、右手に竹篦(しっぺい)あるいは警策(きょうさく)を持つ全身像ないしは半身像が多いが、ほかに経を唱えながら歩く姿の経行(きんぴん)像や、円相像、夢中像などもある。
[榊原 悟]
彫刻にあっても像の表現形式は画像と同じだが、頂相画と違って師から授けられるものではなく、師僧の没後にその住房とか墓所に堂を建てて像を安置したり、あるいは師の存命中に弟子たちが発願して記念の寿像を造立する。そして生前の師に仕えると同じく、これらの像に花や飲食物を捧(ささ)げる。頂相画と同じく中国では北宋(ほくそう)から南宋時代を通じて、日本では鎌倉時代末から室町時代にかけて盛んにつくられた。像の形式が一定しているため面相表現に主眼が置かれて写実性が求められたが、鎌倉期のものは単に写実にとどまらず人格や精神性まで表出されたのに対し、時代を下るにつれて形式化が目だち、人形的表現へと堕した。頂相盛行期は木彫全盛期ではあったが、日本では宋の彫刻の影響下にあって写実を優先したため、塑像でつくられた例もある。
舶載の画像としては無準師範(ぶじゅんしはん)像(1238、京都東福寺、国宝)、中峰明本(ちゅうぼうみょうぼん)像(1316ころ、兵庫高源寺)などが著名で、わが国で描かれた優品には蘭渓(らんけい)道隆像(14世紀、神奈川県建長寺、国宝)、大燈(だいとう)国師像(14世紀、京都大徳寺、国宝)など多数がある。彫像としては瑞岩和尚(ずいがんおしょう)像(14世紀、岐阜県安国寺、塑像)、無学祖元像(14世紀、神奈川県円覚寺(えんがくじ))などが代表的作例である。
[佐藤昭夫]
〈ちんぞう〉または〈ちょうそう〉ともいう。仏の頂(いただき)(頭部)は本来無相,すなわち見るあたわざるものであるが,その相貌を彫像あるいは画像で表現したものが頂相であり,転じて禅僧の彫像もしくは画像の通称となった。禅宗では〈法〉は師から弟子へ受けつがれるものであり,したがって師の像容を写した頂相はもっとも尊重され,生けるがごとく敬慕される。画像の場合,通常,師が伝法の印可(悟道の熟達を証明したもの)として図上に著賛し,その法嗣に付与したものである。一般には曲彔(きよくろく)(法会に用いる椅子)上に趺坐(ふざ)し,右手に竹篦(しつぺい),払子(ほつす),警策(けいさく)をもつ全身像が基本であるが,画像では半身像,経行(きんひん)像(経を唱えながら歩行する姿),夢中像,円相像,再来説に基づくものなど,像主の境涯や説話をとり入れた像容をもつ頂相もある。像主生存中のものを寿像(じゆぞう),没後の制作を掛真(けしん)といい,面貌の向きを異にするが例外もある。また黄檗宗では真正面の画像が用いられている。中国では北宋から南宋時代を通じて,また日本では鎌倉時代末から室町期にかけて,臨済系統において盛行した。いずれも面貌の描写に迫真の写照が要求され,中国における〈伝神写貌〉の伝統が,日本の肖像画ないしは肖像彫刻全般に与えた影響は大きい。舶載頂相には13世紀の画像《無準師範像》(東福寺,国宝)などがあり,14世紀の《蘭渓道隆像》(建長寺,国宝),《大灯国師(宗峰妙超)像》(大徳寺,国宝),木彫で13世紀制作の《仏光国師(子元祖元)像》(円覚寺)をはじめとして日本でも多数の作品が制作された。
→肖像
執筆者:衛藤 駿
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「ちんそう」とも。頂相の語は本来仏の頭頂部の相貌を意味するが,転じて禅僧の相貌,すなわち肖像画の通称として中国宋代に定着,のち日本でも用いられるようになった。禅宗では師資相承を旨とするので,師の頂相がきわめて尊重される。通常,師は法を伝えた証として自分の頂相に賛を書いて弟子に与え,弟子はこれを師の忌日などにかけて供養する。画像は法会用の椅子の曲彔(きょくろく)に座した全身像が一般的だが,半身像や円相内に描かれた円相像,歩行中の姿を描いた経行(きんひん)像などもある。日本では鎌倉末期からとくに臨済宗で盛んに行われ,室町時代にかけて多数の優れた画像が制作された。
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…〈ちんぞう〉または〈ちょうそう〉ともいう。仏の頂(いただき)(頭部)は本来無相,すなわち見るあたわざるものであるが,その相貌を彫像あるいは画像で表現したものが頂相であり,転じて禅僧の彫像もしくは画像の通称となった。禅宗では〈法〉は師から弟子へ受けつがれるものであり,したがって師の像容を写した頂相はもっとも尊重され,生けるがごとく敬慕される。…
…美濃の遊行僧円空が,地方民衆の素朴な信仰に支えられて各地に残したおびただしい木彫像は,古代以来の鉈(なた)彫りの伝統を蘇生させたものであるが,ここにも黄檗彫刻の影響が認められる。また寛文から元禄ころ(1661‐1704)にかけて,黄檗宗の高僧の頂相(ちんそう)絵画がさかんにつくられた。これは,西洋の写実手法の影響を強く受けた明末・清初の肖像画法によるもので,江戸時代洋風画史の第1段階としても注目される。…
… 絵画の分野では,黄檗画像がまずあげられる。これは,隠元,木庵,即非など,渡来した黄檗高僧の頂相(ちんそう)で,17世紀後半から18世紀にかけおもに長崎で描かれた。伝統的な頂相の手法とは異なり,赤や黄の原色の法衣をまとった真正面向きの像で,その顔には西洋風の陰影を施しきわめて写実的である。…
…京都長福寺)など作品が多く,その作柄の高さは一般の仏教美術の水準をしのいでいる。《花園天皇像》はまた似絵の伝統的画法に頂相(ちんそう)の筆意を加えたものとして注目されている。
[新仏教の美術と鎌倉]
いわゆる鎌倉新仏教が文化,特に造形美術の上に影響を及ぼしだすのは13世紀後半といってよいであろう。…
…にもかかわらず黄檗系画像や道教像,朝鮮の帝王図では正面性を堅持している。同じ尊崇性の強い頂相(ちんそう)(禅僧画像)では日常性の中に高い精神性を見いだすため,あえて正面性を避け斜め正面表現とする例も生じた。この場合,顔の向きに意味が付加されてくる。…
※「頂相」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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