小屋庄(読み)こやのしよう

日本歴史地名大系 「小屋庄」の解説

小屋庄
こやのしよう

現伊丹市の昆陽こや辺りに所在した庄園。「和名抄」所載の古代武庫むこ児屋こや郷の郷名を継承。昆(崑)陽寺庄・小(児)屋野庄などとも表記される。養和元年(一一八一)一二月八日の後白河院庁下文案(新熊野神社文書)に京都新熊野いまくまの社領「摂津国 小屋小林庄」とみえ、当庄以下に対する役夫工・大嘗会以下の所役免除が命じられた。同下文によると、当庄は二十数年前に後白河院から寄進されている。あるいは保元の乱後に左大臣藤原頼長領であった近隣の野間のま庄などを後白河天皇後院領に編入したこと(保元二年三月二五日太政官符「兵範記」同月二五日条)と関係する可能性もある。年月日不詳の僧浄宝書状(西明寺文書)によると、鎌倉時代に当庄は東西に分割され、西方は紀伊高野山安養あんによう院の、東方は後宇多上皇の発願槇尾まきのお平等心王びようどうしんのう(現京都市右京区)を中心に興隆された西明さいみよう寺の庄園となっていたが、建武新政に際して東方の庄務権は楠木正成に与えられた。このため浄宝は「半分東方」を土佐国安芸あき(現高知県安芸市)と交換して平等心王院に返還するように嘆願している。

湊川合戦で楠木正成を倒した直後の建武三年(一三三六)五月二八日、足利尊氏は禁制(安養院文書)を下して当庄に対する武士狼藉を禁じ、従来どおりの安養院の領有昆陽こんよう寺による現地管理を安堵している。一方同年六月一四日に上洛して京都東寺(教王護国寺)を拠点とした尊氏は、「摂津国小屋東西庄」を造営のために同寺に付している(「東宝記」徴古雑抄)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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