小山松寿(読み)コヤマ ショウジュ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「小山松寿」の解説

小山 松寿
コヤマ ショウジュ


肩書
元・衆院議長,衆院議員(日本進歩党),立憲民政党幹事長,名古屋新聞社長

生年月日
明治9年1月28日

出生地
長野県小諸町

出身地
愛知県

学歴
東京専門学校(現・早稲田大学)法律科〔明治28年〕卒

経歴
大阪朝日新聞名古屋支局長を経て、明治39年名古屋新聞(現・中日新聞)を創刊、社長となった。一方、名古屋市議を経て大正4年衆院議員となり、立憲民政党に属し当選10回。この間、農林政務次官、衆院副議長、昭和12年衆院議長となり4年5カ月在職。また、憲政会幹事長、立憲民政党総務、幹事長も務めた。戦後、日本進歩党に属す。早稲田大学評議員会長を兼務。平成3年から「名古屋新聞・小山松寿関係資料集」(全6巻)が刊行される。

没年月日
昭和34年11月25日

家族
長女=小山 千鶴子(「小山松寿伝」編集)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「小山松寿」の解説

小山 松寿
コヤマ ショウジュ

大正・昭和期の政治家 元・衆院議長;衆院議員(日本進歩党);立憲民政党幹事長;名古屋新聞社長。



生年
明治9年1月28日(1876年)

没年
昭和34(1959)年11月25日

出生地
長野県小諸町

出身地
愛知県

学歴〔年〕
東京専門学校(現・早稲田大学)法律科〔明治28年〕卒

経歴
大阪朝日新聞名古屋支局長を経て、明治39年名古屋新聞(現・中日新聞)を創刊、社長となった。一方、名古屋市議を経て大正4年衆院議員となり、立憲民政党に属し当選10回。この間、農林政務次官、衆院副議長、昭和12年衆院議長となり4年5カ月在職。また、憲政会幹事長、立憲民政党総務、幹事長も務めた。戦後、日本進歩党に属す。早稲田大学評議員会長を兼務。平成3年から「名古屋新聞・小山松寿関係資料集」(全6巻)が刊行される。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小山松寿」の解説

小山松寿 こやま-しょうじゅ

1876-1959 大正-昭和時代前期の政治家。
明治9年1月26日生まれ。「大阪朝日新聞」記者をへて明治39年「名古屋新聞」(「中日新聞」の前身)を創刊,社長となる。大正4年衆議院議員(当選10回)。憲政会や民政党の幹事長を歴任し,昭和12年から16年まで衆議院議長。昭和34年11月25日死去。83歳。長野県出身。東京専門学校(現早大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「小山松寿」の解説

小山 松寿 (こやま しょうじゅ)

生年月日:1876年1月28日
大正時代;昭和時代の政治家。衆議院議員;名古屋新聞社長
1959年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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