小山浦(読み)おやまうら

日本歴史地名大系 「小山浦」の解説

小山浦
おやまうら

[現在地名]海山町小山浦

引本ひきもと湾口に流入する銚子ちようし川の河口右岸、天倉てんぐら山系の北東山麓にある。「神鳳鈔」に「小山御薗二丁三反三百歩」と記される。「紀伊続風土記」に、

<資料は省略されています>

と記されている。貞和二年(一三四六)四月二〇日の荘司文書(荘司都盛氏旧蔵)に「尾鷲の浦の三浦の窪の豊浦左衛門次郎殿」とあり、応永一四年(一四〇七)の村方極書(荘司家由緒書)に「一族儀式の祝い、嫡座は庄司殿、左座は南殿」と記され、豊浦(南)氏は荘司家一族のうちでも最右翼の地位にあった。延元元年(一三三六)頃荘司職の木本源太左衛門尉盛房が、居を小山浦から木本このもと(古ノ本)村に移したので、一族の豊浦氏を(現紀伊長島町)から小山浦の後山うしろやま城へ入城させたのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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