日本歴史地名大系 「小峯寺」の解説 小峯寺こみねじ 和歌山県:橋本市境原村小峯寺[現在地名]橋本市境原境原(さかいはら)の南の小峯山にあり、高野山真言宗。宝雲山宝蓮院と号し、本尊は馬頭観音。役行者の開基と伝える。鎌倉時代初期の「諸山縁起」に修験の霊場として当寺がみえ、「観音あり」と記される。南北朝時代は大和・河内境にある金剛山転法輪(てんぽうりん)寺(現奈良県御所市)配下で、修験寺院として栄えた。応永二〇年(一四一三)九月の葛原明観譲状案(葛原家文書)に「ヲミネタ」、同年一一月一五日の境原山四方書写(同文書)に「小峯領内四方」として「一東ハ花折道手水カ谷同道限也、一西ハ細川さかい水木谷限也、一北ハはけら峯水なかれ塔尾峯堀□小峯寺ノ西丸山九分目見通シ打戸ノ田峯道限也」、同日付の葛原明観譲状(隅田家文書)に「おミねのいんしゆ、たうてん(堂田)あり」「おミねのかねつきてん(鐘撞田)」「おミねのたんくてん(壇供田)」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by