小早川氏城跡(読み)こばやかわししろあと

国指定史跡ガイド 「小早川氏城跡」の解説

こばやかわししろあと【小早川氏城跡】


広島県三原市にある城跡。指定名称は「小早川氏城跡 高山城跡(たかやまじょうあと) 新高山城跡(にいたかやまじょうあと) 三原城跡(みはらじょうあと)」。中世安芸南部の国人領主、小早川氏に関わる一連の城跡で、小早川氏の本拠であった高山城跡(本郷町)や、高山城から16世紀半ばごろに移った新高山城跡(本郷町)、中世末期(16世紀後半)に築城された近世城郭である三原城跡(高坂町・館町・本町・城町)からなる。1957年(昭和32)に国の史跡に指定された。小早川氏の祖は頼朝七騎の一人として有名な土肥実平(どひさねひら)とされ、実平とその子遠平(とおひら)が沼田(ぬた)庄の地頭となってから代々これを継ぎ、この地方に勢力を広げていった。高山城を築いたのは4代茂平(しげひら)で、新高山城への城替えまで約350年間、小早川氏の本拠城であった。高山城は沼田川東岸の標高約190mの頂上に築かれた山城で、北の尾根には北の丸、二の丸、本丸、南の尾根には出丸、権現丸(ごんげんまる)、南丸などの郭(くるわ)があり、裏木戸にあたる犬通しの石垣などが残っている。新高山城は、沼田川をはさんで高山城の対岸に築かれたもので、本丸、東の丸、中の丸、西の丸などの郭があり、各所に石垣や土塁が残っている。東の丸と中の丸の間の低地には円形石積み井戸が残り、山腹には菩提寺跡がある。三原城は隆景(たかかげ)が築いたもので、「浮城」とも呼ばれ、海に向かって舟入を開き、城郭兼軍港としての機能を備えている。三原浦の南の海上にあった大島・小島を基盤として築造されたもので、完成は1596年(慶長1)とされる。小早川氏の移封後も福島氏、浅野氏の支城となった。現在、天主台跡とそれをめぐる濠、舟入跡、舟入櫓跡、本丸中門跡が残っている。高山城跡へは、JR山陽本線本郷駅から車で約10分、下車後徒歩約30分。新高山城跡へは、JR山陽本線本郷駅から徒歩約25分。三原城跡へは、JR山陽新幹線ほか三原駅から徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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