小松山
こまつやま
[現在地名]真鶴町岩
岩港の西方山地一帯の総称。山頂部は広く台地状になっているために、小松原とよばれる。良質の安山岩の小松石を産出し、江戸城築城のための石材採掘に当たった福岡藩は、筑前より小河政良を奉行とする七人の石工を派遣し、当山の採石場の開発を行った(石工先祖碑)。その地は現在も口開丁場とよばれている。鍬形
斎の「職人尽絵詞」に「石は播州の御影石、讃州の豊島石を石碑によきは和泉石、あつまにては伊豆の小松原の青ミのかゝりたる」とあり、小松石は磨くと青黒い光沢が現れ、風化にも強いために墓碑石として珍重された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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