日本歴史地名大系 「小林城跡」の解説
小林城跡
こばやしじようあと
市街地北東の独立山上にある。西・北・東と
永禄(一五五八―七〇)初年、当地を含む三之山より東方は伊東氏の勢力下にあった(「箕輪伊賀自記」旧記雑録など)。島津氏と伊東氏が抗争中の同六年二月二三日、島津貴久は敵城破却のため霧島六所大権現に三ヵ条の願文(霧島神宮文書)をなし、その一条目には「至小林之城働之事、指寄候て喜ならは一鬮」とある。翌七年一月、貴久は子息忠平(義弘)を
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報