小柿村(読み)おがきむら

日本歴史地名大系 「小柿村」の解説

小柿村
おがきむら

[現在地名]栗東町小柿・小柿八―一〇丁目

現栗東町の北西部、葉山はやま川と草津川に挟まれた平地に立地。草津川に沿って東海道が通る。はちつぼという条里遺称が残る。土豪青地氏の被官にかかわりのある左座・右座・中座・荷桶座の四座があり(中村文書)、また中世後期以降へそ村の大宝だいほう神社の氏子村で同社祭礼に七番役を勤仕した(大宝神社文書)

慶長検地では高九九七石余(正徳三年「郷村高付帳」中村文書)。寛永石高帳では山城淀藩領三〇七石余(以降幕末まで同藩領)・大坂定番稲垣重綱領六九〇石余。慶安高辻帳では淀藩領田三〇一石余・畑五石余、越後三条藩領田六二五石余・畑一三石余・永荒五一石余。元禄郷帳では高九四二石余で、三条藩領が旗本伊東領となり天保二年(一八三一)同領は幕府領となって幕末に至る。


小柿村
こがきむら

[現在地名]真正町小柿

宗慶そうけ村の南に位置し、糸貫いとぬき川の西岸で、根尾ねお川扇状地の後背低湿地に立地。村域をなか川・戸泉といずみ川の小河川が南流する。古柿村とも書いた。「康富記」享徳三年(一四五四)九月八日条によれば、近衛殿御恩地の小柿郷内公文名のうち一七貫文が大膳大夫入道円心によって近江延暦寺蓮花れんげ院に寄進されたが、近衛・鷹司両家門は円心を諫めて寄進契約をやめさせている。同月二五日条には、小柿郷領家半済のことを蔭山大和入道方に伝達するについて談合している。康正二年(一四五六)五月二二日の足利義政袖判御教書案(建内文書)によれば、小柿郷、北方きたがた(現北方町)などは将軍家御番衆大館兵庫頭教氏に知行地として安堵されている。戦国時代安藤伊織盛元(守光)が小柿城(館)を構えて住した(濃陽諸士伝記)


小柿村
こがきむら

[現在地名]三田市小柿

乙原おちばら村の東、羽束はつか上流域の谷間に開けた小盆地と後背山地に立地する。羽束川渓谷沿いに園部そのべ(現京都府園部町)へ至る道が通る。慶長国絵図には小柿村・北安きたやす村・小西こにし村・かみ村・ひがし村が並記され、五ヵ村で高六〇八石余。正保郷帳では小西村はみえず、見樋けんび(見比)村を含む五ヵ村で高八〇四石余。天保郷帳では古くは小柿北安村とみえ、高八四一石余。御領分御高付覚(九鬼家文書)によれば、東村・見比けんび村は小柿村新田のうちとしている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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