朝日日本歴史人物事典 「小栗山喜四郎」の解説
小栗山喜四郎
生年:生年不詳
江戸中期,奥州南山御蔵入騒動の義民。大沼郡小栗山村(福島県金山町)の生まれ。享保5(1720)年南山御蔵入領(福島県南会津郡全域および大沼郡の一部)の村々は年貢減免,江戸廻米反対などを要求し,田島代官所へ強訴,翌6年代表三十数人は幕府へ直訴した。喜四郎も直訴に参加,7年田島鎌倉崎で晒首となった。実際は資金調達・連絡役との説がある。伝記は明治31(1898)年杉原夷山『南山義民小栗山喜四郎』,大正9(1920)年石田伝吉『会津義民小栗山喜四郎伝』。同13年花見朔巳は「会津御蔵入騒動―小栗山喜四郎は義民にあらず」(『日本農民史』)を発表している。昭和3(1928)年田島町丸山公園内に夷山の選文による「南山義民之碑」が建立された。<参考文献>『田島町史』2巻,6巻下
(阿部俊夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報