小栗美作(読み)おぐりみまさか

改訂新版 世界大百科事典 「小栗美作」の意味・わかりやすい解説

小栗美作 (おぐりみまさか)
生没年:1626-81(寛永3-天和1)

越後高田藩松平光長の筆頭家老。名は正矩。1665年(寛文5)高田大地震で父五郎左衛門が圧死したためその職を継ぐ。高田城修築,城下町高田の区画整理を断行して現在の町並みとした。大瀁(おおぶけ)郷の新田開発,中江・大瀁両用水開削直江津築港魚沼の銀鉱採掘など殖産興業に尽くし藩財政を豊かにしたが,いわゆる越後騒動により将軍徳川綱吉から切腹を命ぜられた。
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関連語 渡辺

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小栗美作」の解説

小栗美作 おぐり-みまさか

1626-1681 江戸時代前期の武士
寛永3年生まれ。越後(えちご)(新潟県)高田藩士。寛文5年地震で圧死した父の跡をつぎ筆頭家老となる。直江津港改修,中江用水の開削,新田開発などで業績をのこす。延宝7年藩主継嗣問題がからんでお家騒動(越後騒動)がおき,将軍徳川綱吉の裁決で9年6月22日切腹。56歳。名は正矩(まさのり)。

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世界大百科事典(旧版)内の小栗美作の言及

【越後騒動】より

…1679‐81年(延宝7‐天和1)に越後高田藩松平家に起きた継嗣問題にからむ御家騒動。1674年正月松平光長の嗣子下野守綱賢が死んで子がなく,筆頭家老小栗美作は光長の異母弟市正(いちのかみ)の子万徳丸(15歳)を推して光長の承諾を得,将軍徳川家綱に謁して三河守綱国とした。市正の弟永見大蔵や家老荻田主馬らはこれをもって,美作がわが子掃部(かもん)大六を光長の嗣子にしようとしたが見込みがないので,少年万徳丸を立てて権力をほしいままにし主家を横領しようとするものと喧伝し,殿様のため(お為方)に美作(逆意方)を除こうと騒いだ。…

※「小栗美作」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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